2011.3.11を振り返って《店主ブログ》

今日はジュエリーリフォームにまったく関係ない内容。
2011年3月11日東日本大震災が起こった日から9日過ぎた20日に書いた私のブログを久しぶりに読み直しています。
そうだ。。。。当時私は、今の仕事をこのまま続けていて良いのだろうか。。。?とそんなことを考えていたのだ。

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9月20日。久しぶりに色々考えて眠れません。これからいったいどうなるのでしょう。今はあれこれ考えても始まらないのは分かっています。でもやめられません。止まりません。
気がついたらこんな時間。。そんな人も多いのではないでしょうか?被災地の窮屈な環境ではもしかしたらほとんどの方が眠れない夜をお過ごしなのかもしれません。

私は、私の家族は本当にラッキーです。地球でこんなにちっぽけな日本という島国に住んでいるという所までは同じなのに、たった250キロばかし違う所にいただけて、一方は家も車も財産も、中には大切な人まで亡くしてしまった。一方で停電や少しばかりスーパーで物がないぐらい。わたしはラッキーにも後者の方。でも反対になっていたって全然不思議はない。無一文になっていたかもしれない、って考えたら、ヘソクリから募金ぐらいじゃホント、足りないって分かってる。暖かいところで暮らせて、ヘソクリだけじゃなくて全部差し出したっていいくらいか。。

あとは献血。こんな不健康そうな血でもいいかな?役にたつかな?

自分を責めたくなる気持ちと、やはり回りに対して腹立たしい気持ちも交錯する。
もっと速い段階で海外の支援や助言を受けていればこんなヒドイ状態にはならなかったんじゃないか。そう、原発への対応です。
変な国の威信とかプライドなど無かったか?菅さんを始めとする、東電の指揮系統に携わる人達へです。
(この当たりは色々なことが後々分かってきており、今は少し考え方は違います。2018年加筆)
色々なことが想定外で、はいそうでしたか。ではすまされない。責任の所在をはっきりさせるべき。

韓国の金浦空港には、沢山の帰国韓国人の中に、たくさんの脱出日本人の姿があるそうです。早々と関西以南の旅館やホテルを確保してプチ移住するひと。行きたくても行けない人がたくさんいるのに。

私だって衝動的に行きたくなるよ。でもそんな人で溢れたら東京は。。。日本は終りよね。

ぐっと抑えて、今の生活をたんたんと、粛々とすることかしら。そして気持ちに余裕があれば、今までの自分の人生を振り返ってみるのもいい。こんな命に係わることが身時かに起きて、生や死がとて近く感じられた。こんな感じで人生が終了することもある訳で、だとすると、いつも悔いなく生きているか?やり残していることはないか?やりたいのにやらないでいることはないか?

さっき飲んだ催眠剤がすごく効いてきた。まだまだつづきかあるけど落ちそうです(( _ _ ))..zzzZZおやすみ

明日は全てが快方にむかっていますように、強く強く願います。

—–この二日後の22日のブログ———————————-

今日メールでお客様にこんな言葉をいただきました。特に私に。。というわけではないのですがすごく元気をもらいましたのでお裾分けです。

「何だかこんなご時に、という気もしないでもありませんが、世間が自粛ムードになることも復興には妨げになる気がします。節電しつつも国内の経済活動を盛り上げて、皆が正しく税金を払い、それが間接的にはダメージを受けた方々へ還元されます。被災地の経済活動が再開した暁にはBuy Japanese, Buy Made in Tohokuで盛り上げて参りましょう!」

元気を東北に送らなくちゃいけないのに私が落ち込んでどうするの!!

——2011年9月————————————————

被災されたお客様からのオーダーメイドジュエリーの制作依頼をいただき、それによって私は元気を取り戻しました。
私にも役に立てることがある!そう感じさせてくれた、とてもとても大切な作品です。

はじまりは一通のメールから。。。

いろいろ思い悩むことがあったり、くじけそうになった時いつもこのリングを見て実は私も勇気づけられています。

今もまだ困難な生活が続く被災地の方、今は通常の生活を取り戻すことが出来た方、私のように思い悩んだけど頑張れるようになった方、人はひとりでは生きられない、たくさんの人と繋がっていることを忘れない。
あの日を忘れない。